合意による退職金との相殺_日新製鋼事件

 労働基準法24条は、賃金全額払いの原則を規定した条文です。本事案は、使用者が労働者の同意の下、労働者が会社から借りていた借入金を退職金で相殺したことの有効性が問われた判例です。24条でいう賃金には、その名称の如何を問はず、労働の対償として、使用者が労働者に支払う全てのものが含まれます。退職金は、労働協約、就業規則、又は労働契約などで予め支給条件が明確である場合、賃金であると解されています。また、退職金の法的性格の中には、賃金の後払いという側面があるとされており、本事案も24条との関係で議論されることになりました。


1.事案の概要

 Aは、Y社に在職中、住宅資金をY社及びB銀行から借り入れました。右借入金は、いずれも借り入れの際に抵当権は設定されておらず、低利かつ長期の分割弁済の約定の下に借り入れられたものであり、Y社借入金及びB借入金について、利子の一部をY社が負担する等の措置が取られていました。

 Y社及びB銀行への返済は、住宅財形融資規程等により、毎月の給与及び賞与から控除し、退職等のため従業員の資格を喪失した場合には、退職金その他より残債務を一括償還する旨が約されており、Aは同約定を承認していました。

 その後、Yは借財が膨らみ、昭和58年9月頃には、破産申立てをするほかない状況に至り、Y社を退職することを決意しました。Y社に対しては、借入金の残債務を退職金等で返済する手続きを取ってくれるように依頼し、Y社はこれを了承しました。Y社は、昭和58年9月14日、同月15日を退職希望日とするAからの退職願を受理するとともに、同人が各借入金についての各約定の趣旨を確認し、これに従い自己の退職金等を以てY社が各借入金を一括返済するための手続きを行うことに同意する趣旨で作成した委任状の提出を受けました。

 Y社は、昭和58年9月20日、退職金等からY社借入金の一括返済額を控除するとともに、B借入金の一括返済額を控除し、各借入金の清算処理を行いました。

 Aは、昭和58年10月19日裁判所から破産宣告を受け、管財人Xが選任されました。管財人Xは、上記相殺が労働基準法24条1項の賃金全額支払いの原則に反して無効であり、破産法上の否認権行使の対象になるとしてY社に対して退職金の支払いを請求して提訴したのが本件です。


2.解 説

(1)判決要旨(最高裁平成2年11月26日判決)

 賃金全額払いの原則の趣旨はとするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものというべきであるから、使用者が労働者に対して有する債権をもって、労働者の賃金債権を相殺することを禁止する趣旨をも包含するが、労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、右同意が労働者がその自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右同意を得てした相殺は右規定に違反するものとはいえないものと解するのが相当である。もっとも、右全額払いの原則の趣旨にかんがみると、右同意が労働の自由な意思に基づくものであるとの認定判断は、厳格かつ慎重に行われなければならないことはいうまでもないところである。

 本件相殺におけるAの同意は、同人の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在していたものというべきである。

(2)賃金全額払いの原則

 労働基準法24条1項は面倒な条文なので、穴埋問題的に記述してみました。

労働基準法24条
1項 賃金は、(  )で、(  )労働者に、その(  )を支払わなければならない。ただし、(  )若しくは(  )に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、(  )以外のもので支払い、また、(  )に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。

「通貨以外のもの」と「一部控除」の例外要件が違うので混乱しますが、相殺も含む一部控除の例外は、法令による場合、具体例は所得税、住民税、又は社会保険料などです。もう一つは、労使協定により定めた事項です。

(3)使用者による相殺の禁止

①使用者による相殺
 賃金全額払いの原則の下、損害賠償請求権、不法行為債権などいついて使用者側からの一方的な意思表示による相殺は禁止されています。

②労働者による相殺
 労働者側からの一方的な意思表示による賃金債権との相殺及び賃金債権の放棄は、賃金全額払いの原則に違反しないとされています。

③調整的相殺
 使用者からの一方的な意思表示による相殺の例外として、過払賃金の清算のための「調整的相殺」は、実質的に賃金は全額支払われているので、時期が合理的であり、予め労働者に予告した場合や相殺する額が多額にならない場合には許容されています。

④合意相殺
 労働基準法の強行法規性を強調する立場からは、労働者の同意があったとしても24条に違反するので無効であるという解釈が成り立ちます。しかし、本事案における判決要旨でも述べられているように、労働者がその自由な意思に基づいて同意した場合においては、同意が労働者がその自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときという条件付きで相殺の有効性を認めています。

(4)相殺の制限

 最後に、前述の②、③及び④のような相殺が認められる場合であっても、他の法律で相殺が制限される場合があります。賃金及び退職金の場合、四分の三相当額(月給の場合にはこの額と33万円のいずれか低い方の額)については相殺できません。

民事執行法
第152条 次に掲げる債権については、その支払期に受けるべき給付の4分の3に相当する部分(その額が標準的な世帯の必要生計費を勘案して政令で定める額を超えるときは、政令で定める額に相当する部分)は、差し押さえてはならない。
 一.債務者が国及び地方公共団体以外の者から生計を維持するために支給を受ける継続的給付に係る債権
 二.給料、賃金、俸給、退職年金及び賞与並びにこれらの性質を有する給与に係る債権
2 退職手当及びその性質を有する給与に係る債権については、その給付の4分の3に相当する部分は、差し押さえてはならない。
3 債権者が前条第1項各号に掲げる義務に係る金銭債権(金銭の支払を目的とする債権をいう。以下同じ。)を請求する場合における前2項の規定の適用については、前2項中「4分の3」とあるのは、「2分の1」とする。

コメント

非公開コメント

トラックバック

http://yokoteoffice.blog130.fc2.com/tb.php/64-df8271b5