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大相撲と女人禁制

 大相撲をただのスポーツまたは格闘技の一つと考える人もいれば、興行または見世物の側面があると思う人もおり、人それぞれなのですが、伝統文化であり、神事であるというのも相撲の本質的なところです。逆に、そこを否定してしまうと、相撲が相撲でなくなってしまうように思えます。昨年は、日馬富士による暴行事件などが明るみに出て、土俵の外が大荒れだった大相撲です。問題は、年が明けても貴乃花親方の理事落選、その処分とごたごたがおさまらない状況でした。そして、今月4日、大相撲春巡業の舞鶴場所で、挨拶に立った多々見良三・同市長(67)が土俵上で倒れ、その救命に土俵に上がった女性に対し、行司が降りるようアナウンスをしたことが問題となりました。日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は4日夜、「行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くお詫び申し上げます」とのコメントを出したと伝えられています。

 大相撲の土俵が女人禁制なことが改めて世間の耳目を集めているこの時期に、今度は巡業中のアトラクション行事の「ちびっこ相撲」に女児の参加を遠慮するよう相撲協会側から要請があったという報道です。
<力士が土俵で子どもに稽古をつける「ちびっこ相撲」に参加予定だった小学生の女の子が、日本相撲協会からの要請で土俵に上がれなかったことが、主催者らへの取材でわかった。過去には女児が参加した年もあったが、開催直前に協会から連絡があったという。
 地元有志らでつくる実行委員会によると、「ちびっこ相撲」には複数の女児が参加予定だったが、4日に協会の荒磯親方(元幕内玉飛鳥)から電話で「女の子は遠慮してもらいたい」と連絡があったという。実行委の担当者は「ちびっこ相撲は2015年から毎年実施しており、女子が参加した年もあった」と説明する。(朝日新聞電子版から抜粋)>

 歴史と伝統に裏付けられた慣習を堅持してゆくという相撲協会の立場は大いに理解できるのですが、どうもこれらの対応は解せないのです。というよりは、日本の伝統に反する硬直的で紋切り型の対応をして、世間の、特に伝統文化を破壊しようという勢力に介入するための口実を敢えて与えているような印象さえ受けるのです。

 ギリシャ神話は知っているが、古事記は読んだこともないという惨状は何とはなしに知っておりますが、近年古事記を見直す動きも出てきているそうです。その古事記によれば、我が国は古来八百万の神々がおられる国であり、太陽神の天照大御神が天岩戸にお隠れになったとき、八百万の神々は暗黒となった高天原を何とかしようと天の安河原に参集されて対策を協議します。そして、神々が協議した結果打ち出した天照大御神を連れ戻す対策というのが、実に自由奔放で楽しく柔軟なものでした。

 神話の話から類推される我が国の伝統というのは、人々が絶対神の教義の下に服従するというようなものではなく、神々でさえ意見を出し合って事件に対応していく柔軟な仕組みであったようです。今回の大相撲における土俵上に女人をあげてはいけないという原則に関連した事件ですが、土俵上で突然倒れた市長の救命ということになれば、例外を認めるという判断は常識の範囲内でまったく問題にならなかったと思います。逆に、あくまで原則を護るという判断もありだと思いますが、その判断は、重大な結果を招いたときに何故そう判断したか明確な説明ができることと、結果責任を引き受ける覚悟がなければしてはいけないことです。また、ちびっこ相撲についていえば、これまで何ということもなく慣習的に女児の参加も認めてきたこと、このくらいの年齢の子供を敢えて女人として排除するのはかえって大人げないというのが現代の常識になっていたのではないかと思われることから、柔軟に女児の参加を認め続けることが無難な選択であったと思われます。

 原則に立ち返ることは常に重要ではありますが、今回の事件について、相撲協会は硬直的なまずい対応をしていることは、確かだと思います。こういう問題が生じているときには、なぜその原則があるのか、原点に立ち返って勉強しなおしてみる必要があるのでしょう。とはいえ、相撲協会の脇の甘い対応が続くと、歴史や伝統を破壊されて大相撲が大相撲でなくなる虞が高まります。今のところ、歌舞伎や宝塚については、これにクレームをつけるようなことが常識を逸脱するとされてはいるようですが...。

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