「同一労働・同一賃金」のキャッチコピー性

 今朝のNHKラジオ朝7時台のニュース解説では、最近俎上に上せられることが多くなった「同一労働・同一賃金」が取り上げられておりました。その中で、「欧米、特に米国では、仕事というよりは、『ポスト』について値札が付いていて、そのポストにつく限りにおいて、年齢などに関係なく同一賃金となる」という趣旨の解説が行われておりました。この問題が論じられるとき、キャッチコピーに踊らされて、同じ仕事をしているのならば、若者も老人も、正社員も非正規も、同じ賃金にするのが原則だと短絡的に結論付ける傾向が強いように思われます。

 しかし、少々経験を積んだ大人ならば、文字通りの「同一労働・同一賃金」という発想は、非現実的なものであると直感的に感じられるはずです。また、経営者ならば、仮に現行の年功制度的な賃金体系が必ずしも完璧なものでないとしても、だからと言っていきなりその対極にある制度を導入しようとはまさか思わないでしょう。新しい制度を導入するならば、その制度が現代の流れであるトレンド軸にあったものであると同時に、人類の長い歩みの方向性に合致するような進歩軸に沿ったものであることもじっくりと考えてみる必要があります。

 個人の能力がより自由に伸び伸びと発揮されることを促す制度の流れは、おそらくは進歩軸に合致するものだと思われます。したがって、成果主義的な傾向は、各国の文化や伝統によりその発現の仕方は様々になるとは思いますが、止まらない大きな潮流なのでしょう。一方で、農村共同体の伝統を持ち、共同体的結びつきの強い社会が人を育てるという発想をいまだ残しているところに「ポスト」に値札をつける的な発想が果たして馴染んでゆくのか、よくよく考えてみる必要があります。この発想を突き詰めてゆくと、会社は単なる腰掛であり、キャリアアップは次から次へと腰掛を替えてゆくことに必然的に行きつきます。これで果たして長期的な視野で経営が成り立つのか、また標準的な日本人が精神的な満足を心から得られるのか、疑問符を付けざるを得ません。

 経営者の視点に立つと、これから何十年も会社に貢献することが期待される若者と数年後に定年に達する年齢の老人が同時に入社して同じ仕事をするという場合を想定すると、同じことをする点だけに注目して同じ賃金を支払うということが馬鹿げたことであると容易に理解できます。同じような状況でも、この老人が長年会社に貢献してこられた功労者で、今は身体の衰えから今年入社の若者と同じことをしているという場合にも、また、別の配慮があって良いと考えるのが普通の日本的な発想です。「同一労働」というのは、単に目に見える今そこで行われている現象だけを見るものではなく、その中に様々な要素が含まれるものでなければならないように思えます。前述の若者と老人の例の他、正社員と非正規や地域限定正社員などの例でも、たとい今現在同じ労働を現象的には行っていたとしても、正社員の方は業務命令一つで全国どこにでも転勤していかなければならないとか、将来かなり異なる業務に取り組まなければならないなどといった賃金にプレミアムをつけるべき条件が付加されているとも考えられるのです。米国流の「ポスト」というのも、単純な同一労働というよりは、このような要素がある程度は織り込まれた概念だと思われます。だとすれば、いい歳をした大人がキャッチコピーに踊らされて、表面的に同じ仕事をしているのならば、若者も老人も、正社員も非正規も、同じ賃金にするのが原則だと短絡的に結論付けるようなことは、軽挙妄動の類といわなければならないでしょう。

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