経営理念を明文化すべきか

 CHUKIDAN101号に目を通していたところ、面白い記事が目に留まりました。CHUKIDANというのは、中小企業福祉事業団が発行している雑誌で幹事社労士に登録すると隔月で送られてくるものです。「経営のヒントとなる言葉」という著名経営者などの発言を採り上げて解説する連載記事があり、この号では森川亮氏の言葉「いや、わかりやすいビジョンは特にありません」(2015年6月時点)でした。森川亮氏とは、いまやIT業界の雄となったLINEを立ち上げ、育て上げた立役者であり、同社の元社長です。この言葉の明確な解説は、同記事から必ずしも読み取ることができなかったのですが、注目した点は、あるとき森川氏が経営コンサルタントから「経営理念を明文化すべきだ」という趣旨の助言を受けたとき、よくよく考えた末、その助言に敢えて従わなかったことです。その理由というのは、変化の速い時代に経営理念を明文化しても、時代にそぐわなくなってしまうと考えたからなのだそうです。

 経営理念を明文化して、経営者の基本的な考え方を会社の隅々にまで浸透させること、経営理念を社員の行動規範に落とし込んで経営者と従業員が少なくとも同じ方向に向かって業務を推進してゆくこと、こういったことは、今日多くの会社で正しいこととして受け入れられていることです。創業期そして成長期のLINEは、明文化した経営理念などなくても経営者の基本的な考え方が社員に共有され、全社一丸となって突き進むことができたからこそ、今日の隆盛があるのだと思いますが、明文化した経営理念は永久に必要ないかどうかは、浅草社労士にもよく分かりません。

 ところで、「明文化した経営理念を持たない」という言葉で、浅草社労士が連想したのは英国憲法です。議会政治の母国英国は、明文化した憲法を持っていないことでもつとに知られております。同国がこれまでの歴史の中で積重ねてきた慣習、判例及び歴史的な文書などの集合体が英国憲法そのものなのです。1215年の大憲章、1628年の権利の請願、1689年の権利の章典などがよく挙げられますが、このほか重要なのが「憲法習律」と呼ばれるものです。「帝国憲法物語」倉山満著によれば、憲法習律とは、慣習として蓄積された不文法のことで、英国憲法では、「法体系に組み込まれた慣例」と説明されます。英国憲法はこの憲法習律により運用されていますが、では、誰がどのように、何が憲法習律で、いつどのように成立したのかを判断するのか。それは誰にも分からないのです。倉山氏によれば、このとっつきにくい英国憲法の神髄の理解こそが憲法論の奥義なのだそうです。

 ちなみに、憲法は英語のConstitutionの訳語ですが、Constitutionとは国家体制をも意味します。つまり、憲法とは一国の歴史、伝統及び文化に裏打ちされた国家体制そのもののことなのです。そして、普段私達が使っている憲法という言葉は、文字に表わされた「憲法典」のことです。憲法典は、国家体制という意味での憲法の中で特に重要なこと、確認しておくべきことを文書化したものに過ぎないので、日本国民にとってあまりに当たり前すぎることなどは書かないのでよいのです。

 今日、憲法と憲法典の認識があまりになおざりになっており、憲法典が黄門様の印籠か何かのようになってしまっています。しかしながら、民法典の条文解釈、労働基準法の解釈などと同次元で憲法典の解釈をして合憲だ違憲だと騒いでいるのは、森川亮氏の足下にも及ばない所業ということになるのかもしれません。本当の憲法論議とは、人知を超えて歴史と伝統の積み重ねの中で残ってきた慣習を探求し、将来の世代に引き継いでゆくべきものを発見する作業のように思えるのです。

    

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