海賊とよばれた男_出光佐三

 今朝のラジオに百田尚樹氏がゲスト出演し、その著作「海賊とよばれた男」が紹介されていました。歴史経済小説の形式を採用しているようですが、時代は敗戦後間もない昭和の時代、唯一の民族系石油会社出光興産の創業者で社長の出光佐三その人が主人公のモデルです。

 出光興産という会社は、唯一の民族系石油会社であるというぐらいの知識しか持ち合わせていなかったのですが、今朝の百田尚樹氏のお話では、2つの点が印象に残りました。第一に、出光は敗戦と同時に全ての海外資産を失ったのでしたが、海外拠点から引き揚げてきた多数の従業員も含めて1人として解雇しなかった家族的な経営を標榜する企業であったという点です。それどころか、タイムカードなし、出勤簿なし、馘首(かくしゅ)なし、定年なしを亡くなるまで貫きました。近代的な合理主義的経営観とは対極に位置する、家族主義的、日本的な経営観を最後まで貫いた信念の経営者だったのだと思います。

 家族主義で世知辛い資本主義の競争に打勝ってゆくためには、壮絶なまでの覚悟と信念が必要だったことと思われます。そのことを思い知らされるのが、2つ目の「日章丸事件」です。日章丸事件、以前にご紹介した「エルトゥールル号遭難事件」などもそうでしたが、民族の宝ともいえる日本人として知っておくべき歴史が軽んじられ、忘却のかなたに忘れ去られるのは一体どうしたことでしょう。日章丸事件については、小生自身この放送を聴くまで、事件の名称を聞き知っていた程度の知識ですので、出光興産のHPから、以下に転載して紹介いたします。

「1953(昭和28)年3月、出光は、石油を国有化し英国と抗争中のイランへ、日章丸二世を極秘裏に差し向けました。同船は、ガソリン、軽油約2万2千キロLを満載し、5月、大勢の人の歓迎を受けて川崎港に帰港しました。
 これに対し、英国アングロ・イラニアン社(BPの前身)は積荷の所有権を主張し、出光を東京地裁に提訴。この『日章丸事件』は、法廷で争われることになりました。裁判の経過は連日、新聞でも大きく取り上げられ、結局、アングロ・イラニアン社が提訴を取り下げたため、出光側の勝利となりました。 イラン石油の輸入は、その後、イランにおいてメジャー(国際石油資本)の結束が再び強化され、1956(昭31)年に終了しました。
 しかし、この『事件』は、産油国との直接取引の先駆けを成すものであり、日本人の目を中東に向けるきっかけになりました。また、敗戦で自信を喪失していた当時の日本で、国際社会に一矢報いた『快挙』として受け止められたことも歴史的事実です。」

 この記事はさらっと書かれていますが、百田尚樹氏は、出光の動きに先立ってこの英国によるイラン海上封鎖の突破及び石油輸入をイタリアが試みて失敗しており、出光ももし英国に日章丸が拿捕されるようなことになっていたら、確実に倒産の危機に見舞われていたことだろうと述べています。「『イラン石油に輸入は堂々天下の公道を闊歩するもので、天下に何ひとつはばかることもない。ただ敗戦の傷の癒えぬ日本は正義の主張さえ遠慮がちであるが、いま言った理由から、日本国民として俯仰天地に愧じざることを誓うものである』。出光は乗組員に堂々と胸を張れと励ました。」優れた経営者という範疇を超越した正に海賊の棟梁という感じです。しかし、人の上に立つ者をその者たらしめる人間力とは、こういうことなのかもしれません。

  

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