「釈迦の教えは『感謝』だった」となでしこJAPAN

 なでしこJAPANが今夏W杯で初優勝して、震災でへこんでいた日本を大いに勇気づけてくれたのは、つい先々月のことです。彼女らは、一躍我らがヒロインとなり、日本国中に爽やかな印象をもたらした彼女たちの試合を全国民が期待を持って観ているはずです。しかし、現在なでしこを率いている佐々木監督は、見かけによらずなかなかの策士なのかもしれません。そして、昨日、中国青島で行われた五輪予選の対北朝鮮戦では、早く予選通過をして五輪切符を手に入れて国民の期待に応えようという気持ちが強すぎたのかもしれません。

 昨日の試合で、前半運動量に勝る北朝鮮代表に苦戦を強いられていた日本代表は、後半37分くらいだったと思われますが、数少ない好機をものにして1点を先取します。日本はこの先取点をきっかけに絶好の時間帯に攻撃の流れを引き寄せるのですが、問題の戦術行動がここで起こります。つまり、コーナーキックの機会を得た日本代表に対し、佐々木監督はあろうことか、北朝鮮選手に体格負けしない永里選手にコーナーでボールを持たせ、時間稼ぎをする作戦を指示したのです。

 この時間稼ぎ作戦を見て、小生は嫌な予感を覚えました。それは、今夏に読んだ小林正観氏の「釈迦の教えは『感謝』だった」に書いてあったことをはっきりと思いだしたからです。その中で小林氏は、人間は動物とは違うジャンルを3つ持っていて、それは「芸能と芸術とスポーツ」なのだそうです。そして、それらは、人間が精神活動として行うもので、実は人間が周りの人間に喜ばれるための活動を凝縮させた結果、浮かび上がってきたものと言っておられます。

 その3つの活動の内で、スポーツは癒しのジャンルととらえる人は少ないかもしれません。勝敗を争うこと、詰まるところ勝った負けたに行きついてしまいがちだからです。しかし、小林氏は、スポーツを「勝ち負けをゲームとして争う、癒し的な行動」と宇宙的に定義できるとします。つまり、勝ち負けを争っているけれども、実は勝ち負けを争うゲームをしている人たちの爽やかさ、爽やかな行動が、それを見ている人たちに癒しや安らぎを与えるのです。従って、「勝つためにはどんな手も許されるんだ、勝つためにはどんな汚いことをしても、あくどいことをしてもいいんだ」というような手段を選んだ人は、宇宙から評価を受けません。宇宙から支援を受けなければ、どんなに実力があってもうまくいかないことになります(同書182~183頁)。

 北朝鮮戦の最終局面でなでしこが採ったコーナーキックによる攻撃を放棄しての時間稼ぎ戦術は、あくどいというほどのものではなかったのですが、美しく爽やかなものではありませんでした。ここで彼女たちは、宇宙なり、神なりからの支援の幾ばくかを自ら遠ざけてしまったと小生には思えました。そして、その数分後に北朝鮮に同点ゴールを決められ、小林正観氏が言っておられたことの正しさが目の前で証明されたかのようになってしまいました。このことは、スポーツに限らず、様々な人間の営みに通じている普遍的な道理なのだろうと思われます。

 それでも北朝鮮戦の結果は引き分けであって、この試合の後に行われた試合で中国が豪州に敗れたために、なでしこの五輪出場が決まりました。なでしこには、全体的に見ればまだ、宇宙なり、神なりが味方についていてくれているのは間違いないのでしょう。五輪本戦では、今回のような戦術の誤りを2度と犯さず、全試合爽やかに戦ってくれるように祈るばかりです。


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