身体論_その2

1.「ゆる体操」との出会い

 さて、丹田の考え方については、甲野氏の教えが多少なりともわかったつもりでいたのですが、他の「身体を割るという」教えや「ひねったり、ためを作らない動き」を具体的に実現する方法論などは、甲野氏の語り口が武術家としての感覚に基づいたものだけに、難解で良く分からないというのが実感だったのです。しばらくの放置状態で数年が過ぎた後、今年になって高岡英夫氏の著作に出会う機会を得ることができました。高岡英夫氏は「ゆる体操」の開発者として知られる方ですが、東大の大学院を修了している学者でもあり、人体は地球と比肩しうる資源であるとみなす身体思想「身体資源論」と身体の高度機能の生物学的出自を論じる「運動進化論」を提唱されておられ、一流の運動選手から高齢者やリハビリ中の障害者の指導を実践され、実績を上げられている方です。


2.高岡英夫氏の身体論

 高岡氏の身体論で特徴的な点の第一は、前述の身体の高度機能の生物学的出自を論じる「運動進化論」であろうと思います。これはどういうことかというと、人間は潜在的な身体機能として脊椎動物の原点である魚類や陸に上がってから陸上を高速移動することで進化した哺乳類の身体機能が備わっていると考えます。「魚類」の動きとは何かというと、それは脊椎、つまりは体幹を最大限に使った動きであり、「哺乳類」の動きというのは、馬などが走っている様子を想像すれば良いのですが、筋肉は脚自体にそれほどあるわけではなく、脚はむしろ身体を乗せているだけで、体幹にある筋肉の動きを脚に伝えることによって走るという動きなのです。要は、脊椎を中心に体幹を使っていること、一時期流行したインナーマッスルを駆使して動いているのではないかということです。

 ここで、日本語の「小手先」と「腕が良い」という表現を取り上げます。人間は、二本脚歩行という哺乳類の中で特殊な進化を遂げました。このことが主な原因だったと思われますが、人間の腕の動作は、馬の前脚ように単に身体をその上に乗せて体幹の力をそこに伝えて走るというものでは全くなくなりました。その代わりに手で物をつかんだり、字を書いたり、実に様々なことを行いますが、このような中で体幹から力を伝えるのではなく、むしろ体幹は固定させて「小手先」で作業をするという技が身についていったのだろうと思われます。しかし、我々日本人の祖先は、どうもそういう方向に走ることの負の効果も何となく気付いていたのか、今日でも「小手先」の技というのは否定的な意味合いを持ちますし、逆に肯定的な意味合いで、より体幹に繋がった部分の「腕」を使った表現で「腕が良い」などと言っています。

 立つこと、歩くことなどの基本動作に関しても、高岡氏によれば、身体の重心の意識が低下した結果の大腿筋などの体表に近い筋肉で支えている立ち方、歩き方ではなく、脚でいえば脛骨で体重を支え最小限の筋力を使った立ち方、歩き方を良しとします。しかも、その際に大腰筋や腸骨筋など脊椎に繋がっているインナーマッスルを使うべきであると言っています。また、後述の通り、大腰筋や腸骨筋など普段私たちが意識して動かしていないインナーマッスルは、脊椎に繋がっているという意味でセンターの意識との親和性が高い筋肉です。それに対して、大腿筋などの体表に近い筋肉は、センターから離れており、左右別々に動いて身体にブレーキをかけてしまう筋肉です。

 それでは、脊椎に繋がっているインナーマッスルが使えるようになるためには何が必要かということになります。そのための最も基本ともいえる身体感覚が身体をゆるめるということなのですが、イメージとして糸で天から吊られた操り人形になった感じを持ち、頭の上は天を足の下は地面から地球の中心を貫いて伸びてゆく「センター」の意識を持ちます。このような状態で身体にかかっている重力を正確に感じ、体重を支えるぎりぎりのところまで力を抜いたぷらぷらの状態にするというのです。つまり、立ち上がって間もないころの赤ん坊は、体表の筋肉が未発達であるために、骨の上に身体を乗せたような不自然で危うい立ち方になりますが、これを意識的に自然にできるようにするということだろうと解することができます。

 まとめると、

・普通の身体は、体幹を固めて体表に近い意識できる筋肉ばかりを使っている傾向が強い。
・むしろ脊椎に繋がったインナーマッスルを動かせるようにすると身体能力が格段に高まる。――「身体を割る」ということは、このことに密接に絡んでいるように思われます。つまりインナーマッスルを意識できるようになると、背骨一つ一つを独立して動かせるまでになれるということです。
・そのためには身体のセンター、重心(多分丹田の意識もここに含まれる)を意識できるようにする。
・そのためには、体表に近い意識できる筋肉を徹底的にゆるめ、身体全体もゆるゆるにすることが不可欠。――「身体を割る」又は「居つきのない動き」を体得するに至るための方法論と考えられます。


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