メンタルヘルス私論_その2

かつて雇用優等生であった我が国は、80年代後半の景気超加熱とその崩壊、その後の景気後退を打開するために導入された株主利益最優先主義と市場原理主義の米国流経営、そしてグローバリゼーションの進展を経て、今日雇用機会自体の喪失という救い難い惨状に直面することになりました。

一体どこで間違えたのか。平均賃金で我が国の30分の1というような国が台頭し、グローバリゼーションが新世紀に入ってからの大きな流れになったことは、止められなかったことなのかもしれません。そんな中で金融危機以後の急速な円高もさらなる試練となりました。

しかし、そういった一見不可抗力のように感じられる経済の大きな流れも大きな要因ではありますが、小生としては、景気超加熱の崩壊以後、日本的経営を捨てて無批判に米国流の市場原理主義的な経営を取り入れたことが今日の雇用機会の喪失とそのことがもたらした職場の荒廃などの様々な派生的な諸問題の根源だと考えたいのです。特に欧米流の経営哲学がその根本に内包していると思われる社会をゲゼルシャフト(Gesellschaft)と呼ばれる利害関係に基づいて結合した人為的な社会と地縁や血縁、友情で深く結びついた伝統的社会形態であるゲマインシャフト(Gemeinschaft)に峻別し、会社は利益を上げることを究極の目標としたゲゼルシャフト(Gesellschaft)の代表とする考え方は、日本の社会とその中の一組織である会社にはそぐわないのではないかと考えています。

つまり、そもそも日本の会社という職場は、目的追求集団であると同時に村社会であり続けるという矛盾に満ちた多面体であり、そのことによってもたらされる多少の非効率や不合理はそういうものとして受け入れられるべきだったという仮説です。

その仮説からいろいろなことが言えてくると思われるのですが、例えば、解雇を明確に「悪」と考える日本の労働法体系は、解雇制限が我が国に比べてはるかに緩慢な欧米流から見れば不合理なことかもしれませんが、「村八分」はむやみに使えない究極の選択ということからすれば、全く正しい結論と言えます。また、近年の非正規雇用の拡大やらパート労働者の増加がもしも解雇は「悪」のドグマに対する隠れ蓑として使われているのならば、これもまた誤った方向だということが簡単に分かります。

また、「心の健康管理の問題」は専ら予防に専念するというのが、この考え方から導かれる正しい結論ですが、これだけでは、うつ病に罹患する労働者が続出する現状に対して全然答えになっていないところが頭の痛い問題です。

コメント

非公開コメント

トラックバック

http://yokoteoffice.blog130.fc2.com/tb.php/168-5fa59280