「ひらめきの構造」から抜粋

数学者 渡部由輝さんのMail Magazineを読んでいるのですが、ひらめきについて面白い記事が出ていたので、覚書のつもりで抜粋を転記しました。

===抜 粋===
ひらめきとはどのような条件のもとに、どのような過程を踏んで発生するのか。ひらめきのメカニズムはいかなるものなのか、について考えてみたい。


■ 「空白のとき」が必要

 人間の思考についての古典的名著『思考の科学』を著したG・ワラスは、ひらめきの過程についてこう説明している。すなわちワラスによれば、ひらめきを必要とするような高度な問題の解決は、一般に次の四つの段階に分かれて
行なわれるという。

(1)準備し着手する
(2)ほかのことをする
(3)ひらめく
(4)検証をする

 このなかでモンダイなのは(2)の〈ほかのことをする〉である。実際、科学上の重要な発明や発見が、このように直接そのことを考えていないときに突然ひらめく、といったかたちで行なわれることはふつうにある。

 ひらめく前にはそれとはあまり関係のないことをする段階がある。考えに考えぬいた結果としてその延長上にひらめきが存在する、わけではないらしい。考えることとひらめきとの間に、それとはあまり関係のないことをするとき、いわば「空白のとき」のような段階が必要らしい。なぜだろう。


■ひらめきのキモは「異端」にあり

 人によっては「あたため」と呼んだりしているが、そのような“空白の時間”の存在する意味とその効用の解明を試みたのが、オレゴン大学心理学教授ウイルケルグレンである。ウィルケルグレンは『問題はどう解くか』の中で、その効用は主として次の二つであると説明している。

(一)初めに考えた正しくない方法についてのさまざまな思い込みを取り去る。
(二)(一)に関連して、その邪魔な思い込みなどが取り去られたあとで、別の角度から見た模様変えされた新しい方法や、新しい事項などを思い出す。

 なにか課題を考えるさい、どんな難問でもうまくいきそうな方法の一つや二つは思いつけるものである。うまくいけそうかどうかはわからないが、解決につながりそうな方法ならもっと多く思いつける。それが(一)の「初めに考えた方法」である。その種の課題に関し、最も一般的な方法という意味で「正統的方法」と言ってよい。それで解決できたら苦労はない。問題解決学上の用語でいえば、「連続的思考」(線形的思考ともいう)による解決である。

 しかし、あるレベル以上の課題になると、そのように線形的には解決できない(だから難問なのである)。正統派ではうまくいかない。ただ、そのうまくいかなかった方法、つまり正統派は、その種の課題については最も一般的と思われる方法であるだけに、解答者の骨のずいにまでしみ込んでいたりする。それでうまくいかないからといって、簡単に忘れ去られるものではない。忘れるにも時間が必要である。それが「空白のとき」の効用であり、ワラスによれば(二)の「ほかのことをする」段階なのである。

 それはいわば、忘れるための時間稼ぎのようなものであるから、その課題に直接的に関係しないことなら何をしてもかまわない。部屋の中に閉じこもっているとどうしてもその課題が頭に浮かんだりするから、外に出て身体を動かしたりする方が良いのかもしれない。そういえば哲学者カントは毎日決まりきったコースを散歩していたというし、京都にも哲学者の小道と呼ばれた遊歩道があり、西田幾多郎、田辺元ら京大学派の散策路になっていた。電磁気学の理論的大成者ヘルツホルムも、「素晴らしい考えは、晴れた日にゆるやかな岡の斜面を登っているときに、ことによく生まれる」とのべている。晴れた日とかゆるやかな岡の斜面などはもちろん、本質的なモンダイではない。危険な岩壁を登攀するといった、そのことに集中しなければならない行為以外は、なんでもかまわないのである。

 そのような空白のときのあと、すなわち正統派という邪魔な思い込みなどが退散したあとであまり一般的でない方法、いわば「異端的方法」が登場して解決される、それがひらめきの“正体”であり、メカニズムなのである。

===抜 粋 終わり===

「他のことをする」、「異端的方法を知る」ですか...。問題は解決できると信じて、余裕の心を持つことが大切と理解しました。

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