厚年法75条と厚生年金特例法の問題をめぐって

1.厚生年金保険法75条の問題

 2007年に年金記録の問題が顕在化して以来、旧社会保険庁から現在の新組織日本年金機構において年金特別便及び年金定期便の発送などが行われるようになり、記録問題解決のための努力が続けられて今日に至っています。その過程で明らかになってきた消えた年金記録のうちで、厚生年金保険料が給与から控除されているにもかかわらず、事業主から保険料納付や資格の届出が行われなかったため、保険料徴収権が時効消滅した後に記録回復が問題になっても、厚生年金保険法75条の規定により、その記録は年金額に反映されてこないという問題がありました。

 厚生年金保険法75条の規定とは、「保険料を徴収する権利が時効によって消滅したときは、当該保険料に係る被保険者であった期間に基く保険給付は、行わない。但し、当該被保険者であった期間に係る被保険者の資格の取得について第27条の規定による届出又は第31条第1項の規定による確認の請求があった後に、保険料を徴収する権利が時効によって消滅したものであるときは、この限りでない。」という規定です。

 この条文は分かりづらいので解説すると、まず消滅時効についてですが、「保険料その他この法律の規定による徴収金を徴収し、又はその還付を受ける権利は、2年を経過したとき、保険給付を受ける権利は、5年を経過したときは、時効によって消滅する。」というのが厚生年金の原則です。そして、27条の規定による届出又は31条1項の規定による確認の請求とは何かということです。これは、厚生年金保険法18条1項に「被保険者の資格の取得及び喪失は、厚生労働大臣の確認によつて、その効力を生ずる。(但し書き省略)」とあります。すなわち、例えば厚生年金被保険者の資格取得は、厚生年金の適用事業所に雇用されれば、原則として法律の規定により当然に被保険者となるのですが、その効力の発生のためには、資格取得という法律関係の存在を確認する行政処分である「確認」を別途行わなければならないということなのです。その確認には、同法18条2項によれば、3つの方法があり、(1)事業主の届出(27条)、(2)被保険者又は被保険者であった者の請求による確認(31条1項)、(3)保険者の職権による確認、とされています。

 ここから、75条がどういうことを謳っているのかが明らかになります。すなわち、悪質な事業主が、社会保険料を給与から天引きしていたにもかかわらず、そもそも資格取得の届出がなされずに2年以上経過している場合、この被保険者の資格取得は、届出がなされていないことから効力が生じておらず、消滅時効が成立してしまっています。したがって、被用者は事業主に対して不当利得の返還請求は当然できますが、国に厚生年金の年金記録の記載を求めることは本来的にはできないということになります。

 逆に、事業主から資格取得の届出がなされているにもかかわらず、保険料を国が徴収していないという場合には、消滅時効は成立しないので、年金記録は復活するということですが、事業者から資格取得の届出が出ていれば、当然保険料の督促及び徴収は行われるはずですので、これは比較的想定しにくい場合になります。


2.厚生年金特例法と75条の問題

 ところで、上記のような年金記録問題に対処するために、平成19年(2007年)12月に厚生年金特例法が施行されました。同法によれば、被保険者の給与から保険料が天引きされていたにもかかわらず、事業主が年金事務所に対して、保険料納付又は被保険者の資格関係等の届出を行っていたことが明らかでない事案について、年金の保険給付の対象とするための年金記録訂正を行い、また、事業主は時効消滅後であっても、納付すべきであった保険料(以下「特例納付保険料」という)を任意で納付することができることとし、当該事業主に対してはその納付が勧奨されるというものです。

 具体的には、
(1)年金記録確認第三者委員会が、事業主が従業員から厚年保険料を給与天引きしながら、日本年金機構(旧社会保険庁)に納付記録がないと認定した場合には、年金事務所は年金記録確認第三者委員会の認定事実により年金記録を訂正し、年金額に訂正した年金記録を反映させます。
(2)事業主は、保険料の徴収権が時効消滅となる2年を経過した後であっても保険料を納付することができることとなり、厚生労働省は当該事業主に対して保険料の納付を勧奨します。当該事業所が廃業している場合には、役員であった者に納付の勧奨が行われます。
(3)厚生労働省は当該事業主又は役員が保険料を納付しない場合には、当該事業主名又は役員の氏名を公表します。ただし、保険料が納付されたか否かが不明の場合はこの限りではありません。
(4)これでもなお保険料が納付されない場合には、国が保険料を負担することになります。

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心理的負荷による精神障害の労災認定基準(2)

 労働者が精神障害を発病したとき、労災認定をするためには、それが業務上の発病か否かを判断する必要があります。この業務起因性の判断指針としての「心理的負荷による精神障害の認定基準」に添付された別表1「業務による心理的負荷評価表」によれば、いわゆるパワー・ハラスメントを含む出来事が⑤対人関係に、そしてセクシャル・ハラスメントについては、⑥セクシャルハラスメントとして取り上げられています。


1.出来事類型⑤対人関係

 この項目でパワー・ハラスメントについては、具体的出来事29「(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」に該当するものと考えられます。そして、その心理的負荷の強度は「Ⅲ」(=強い)とされた上で、嫌がらせ、いじめ、又は暴行の内容及び程度など並びにその継続の状況を考慮して総合評価を行うとされています。

 具体的には、「部下に対する上司の言動が業務指導の範囲を逸脱しており、その中に人格や人間性を否定するような言動が含まれ、かつ、これが執拗に行われた」、「同僚等による多人数が結託しての人格や人間性を否定するような言動が執拗に行われた」、「治療を要する程度の暴行を受けた」などがひどい嫌がらせ・いじめ又はひどい暴行に当たるとされ、総合評価「強」としています。

 一方、「上司の叱責の過程で業務指導の範囲を逸脱した発言があったが、継続していない」、「同僚等が結託して嫌がらせを行ったが、これが継続していない」は「中」になる事例とされ、「複数の同僚等の発言により不快感を覚えた(客観的には嫌がらせ、いじめとはいえないものを含む)」程度は「弱」としています。また、「上司から業務指導の範囲内の叱責等を受けた場合、上司と業務をめぐる方針等において対立が生じた場合等」は、具体的出来事30「上司とのトラブルがあった」、心理的負荷強度「Ⅱ」で評価することになっています。実務的には、業務指導の範囲を超えたか超えていないかの判断は微妙で難しいところになると思われますが、このあたりは客観的なことば遣いの面、常日頃の上司の部下に対する接し方から来る被害者の主観的な側面などを配慮して総合的に判断するしかないのでしょう。

 出来事類型⑤対人関係におけるその他の具体的出来事では、31「同僚とのトラブルがあった」、32「部下とのトラブルがあった」、33「理解してくれていた人の異動があった」、34「上司が変わった」、35「同僚等の昇進・昇格、昇進で先を越された」があります。30から32が標準的には「中」程度の総合評価とされ、「周囲から客観的に認識されるような大きな対立があり、その後の業務に大きな支障をきたしたときなどには、「強」と総合評価されることがあるものとされています。33から35は、原則的には「弱」の総合評価とされています。


2.出来事類型⑥セクシャルハラスメント

 セクシャルハラスメントの被害を受けたときの第一義的心理的負荷強度は「Ⅱ」です。それに、その内容及び程度等並びにその継続する状況、さらには会社の対応の有無、内容、改善の状況、及び職場の人間関係等を考慮に入れて、総合評価を行います。

 「胸や腰等への身体接触を含むセクシャルハラスメントがあっても、行為が継続しておらず、会社が適切かつ迅速に対応し、発病の前に解決している」、「身体接触のない性的な発言のみのセクシャルハラスメントであって、発言が継続していない」、「身体接触のない性的な発言のみのセクシャルハラスメントであって、複数回行われたものの、会社が適切かつ迅速に対応し発病前にそれが終了した」、これらのように会社が適切かつ迅速に発病の前に対応がなされている場合には、総合評価も「中」程度の心理的負荷強度とされます。

 一方、「胸や腰等への身体接触を含むセクシャルハラスメントがあって、行為が継続して行われた」、「胸や腰等への身体接触を含むセクシャルハラスメントがあっても、行為が継続していないが、会社に相談しても適切な対応がなく、改善されなかった又は相談等の後に職場の人間関係が悪化した」、「身体接触のない性的な発言のみのセクシャルハラスメントであって、発言の中に人格を否定するようなものを含み、かつ継続してなされた」、「身体接触のない性的な発言のみのセクシャルハラスメントであって、性的な発言が継続してなされ、かつ会社がセクシャルハラスメントがあると把握していても適切な対応がなく、改善がなされなかった」、これらの場合には、総合評価「強」としています。

 ちなみに、「○○ちゃん等で呼んだ」、「職場内に水着姿の女性のポスター等を掲示した」などは、確かに起こりがちなセクハラ事例ではありますが、精神障害発症との関連では「弱」と評価されることになっています。

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