第3号被保険者に関する小宮山厚労相の見解

 年初に朝日新聞などの報道機関がこぞって取り上げたことで大問題になった「運用3号」というのがありました(国民年金第3号被保険者の未納問題)。これは、そもそも第3号被保険者ではなかった者まで(本来第1号被保険者として届出をして当該保険料を支払わなければならなかった者)を運用上第3号とみなして、保険料を支払ったものとして救済する措置だったのですが、そんなことを敢行した同じ政権の今度の厚労相の下では、反対に「主婦」への優遇措置の見直し論議が動きだしたと報じられております。

 25日の産経新聞WEB版によれば、「サラリーマンを夫に持つ専業主婦は、年金保険料を払わなくても払ったとみなされる『第3号被保険者』となり、夫の健康保険組合に被扶養者として加入できる。パート労働者として働いている場合でも年収130万円未満なら適用対象。専業主婦の保険料は勤め人が肩代わりする制度だ。これに小宮山氏がかみついた。就任直後のインタビューで『共働き家庭の人も、みんなで払っているという本当におかしな仕組みだ』と異議を唱えた。動きは厚労相の諮問機関、社会保障審議会特別部会で具体化した。主婦が年金や健康保険の保険料負担を免除される基準を現行の年収130万円から引き下げる検討に入った。」とのことです。

 小宮山厚労相は、制度改革の狙いを「世帯単位から、もっと個人単位になっていくということだ」と語り、女性が全員フルタイムで働くべきだという考えを持ち、個人単位の家族観が持論と思われる発言を行っています。その結果、当然税制にも手を付けざるを得ないことになります。「小宮山氏は21日、特別部会に自ら出席し、優遇措置の見直し範囲を、年金から税制にまで広げる考えを示した。妻の年収が103万円未満であれば夫が納める所得税などが安くなる配偶者控除の撤廃も視野に入れる。実際、民主党の政策集『INDEX2009』にも同様の内容がある。優遇措置の見直しで女性の就労が拡大する保証はない。労働政策研究・研修機構の平成22年の調査では、パート労働者の25%がわざと労働時間を短くしていると答え、うち36%は厚生年金に加入しないためと回答した。年収基準を引き下げられると、主婦がさらに労働時間を短くする可能性もあり、主婦のパート労働者を多く雇用する流通業界などは労使双方が反対する。」と同記事は伝えています。

 確かに、第3号被保険者制度一つを取り上げてみると非常におかしな制度と小生も思います。しかし、小宮山厚労相の持論を徹底させるとすると、夫婦と子供2人で夫が主な働き手とするモデルを想定して構築されていると思われる現行の社会保険制度及び税制のあらゆる面に抜本的な見直し、というよりも根本から作り直さなければならないようなことになりかねず、国民生活に与える影響は計り知れないものとなり得ます。

 そもそも、たばこ税にしても所得税にしても税制に関しては、厚生労働省の管轄ではありません。厚労相はそれだけの事業をやり抜こうという覚悟と決意をもっているのか、戦略と構想を練りあげて発言しておられるのか、どうもよくわかりません。

 「主婦に冷たい政策」へ舵を切る小宮山厚労相、家族観めぐる論争も

家族手当に関する考察

1.賃金制度の本質をえぐり出す質問

 本日は、とある社労士向け研修会に参加したのですが、人事労務コンサルティングの進め方の中でその会社の考え方の本質を知るための質問の1つとして、「家族手当の必要性」についての質問を取り上げていました。

 すなわち、「ある会社に同期入社29歳の従業員甲と乙がいます。2人とも営業部に所属し、これまでの営業成績及び人事評価はほぼ同じで差はありません。唯一の違いは、甲は25歳の時に結婚し、子供も1人います。一方、乙は独身で、親元から通勤しています。この2人の賃金は、同額であるべきでしょうか、それとも、差をつけるべきでしょうか?」といった類の質問です。


2.我が国の慣行と賃金の本質

 この話で思い出したのは、一昨年に受講した紛争解決手続代理業務試験受験のための特別研修での、経営側の弁護士として知られる石嵜信憲弁護士の講義でした。この講義の中で、石嵜弁護士は、日本の雇用社会から見て賃金はどう位置づけられるのかという観点から、次のように述べておられました。「すなわち、国が国民に約束していることは、『安全を守る(国防)』ことと『食わせる(餓死させない)』ことです。そして、『食わせる』方法は、税金システムと賃金です。この両者のバランスをどうとるかは国家体制の在り方にかかわりますが、憲法第27条が勤労の権利を定めているのは、労働者は労働によって賃金を得て家族を養って生活をしていくことを基本に置いていることを示しています。ですから、ここでも賃金で国民は食うことが日本の原則になっており、賃金に対する拘束力が働くことになります。」

 石嵜弁護士は、賃金で国民は食うことが日本の原則ということから議論を進めて行き、完全雇用政策の推進、終身雇用慣行の定着、さらに、「雇用を守り食える賃金を払う」となれば、賃金の決め方も採用から退職までの長期間の中で決済すればいいというシステムになり、その都度その都度の成果・実績で決めることはないということから、年功序列賃金が出てきますと言っています。しかし、一般的に多くの国家においてその目的は、国民の生命と財産を守ることであり、明治政府の「富国強兵」というのもこのことを言い換えたものに過ぎないという解釈も十分可能ですので、少し論理の飛躍があるようにも感じますが、説得力があり、大筋で合意できる考え方でもあります。

 石嵜弁護士自身、年功序列賃金は、勤続が能力を計る代替指標たり得た時代や適合する職種が存在するのであって、年功序列賃金は、同年代の者が一緒に工場に入り熟練を積んで能力を高めていくブルーカラーの賃金体系であると述べています。


3.成果主義の生み出す矛盾

 つまり、年功序列賃金は、高学歴で能力に違いのあるホワイトカラーに適用すると矛盾が生じるのですが、にもかかわらず、我が国の雇用社会の中で約束事になっていた「食える賃金」論を外した賃金体系を強引に持ち込もうとすると、どうしてもそこに限界があるのではないかとも述べて、次の例を挙げておられます。

 成果主義の会社で、同じ能力の22歳新卒採用者A男、B男、C女、D女がいて、賃金は同じ20万円とします。このとき、A男とC女が結婚して両者が仕事を続ければ世帯収入は40万円です。一方、B男とD女が結婚して、B女は会社を辞めて子供を産んだとしたら、家族の人数は増えるのに世帯収入は20万円です。企業の賃金論として「契約」ということでは成り立つ家族手当廃止論も、雇用社会の賃金論、「食える賃金」論の観点からは、家族手当を設けて基本給とセットでバランスをとるという考え方は捨てがたいものです。それを会社への貢献結果だけが賃金で、家族は関係ないと言い切ってしまうと、今度は所得税なり間接税なりを多く徴収して手厚い「児童手当」といった税制で補完する必要が出てくるのです。

月刊誌の電子書籍化について

 今週末は、先日買った書棚を組立て、本や雑誌とともに事務所の整理を行いました。物を捨てることが苦手なので、理想の事務所とは程遠いのですが、今回の書棚関連の整理は概ね完了です。使わない本や雑誌の類を定期的に処分していくことが、今後の課題です。

 さて、全国社会保険労務士会連合会が出している月刊誌及び東京会の会報は、基本的に一匹狼であるところの士業を生業とする者にとって、連合会又は東京会が取り組んでいる課題、社会保険労務士が知っておくべき情報及び知識、同業者からの情報など、非常に有益な情報が盛りだくさんで小生は必ず目を通すようにしています。今回部屋の整理をしていて思いついたことですが、この月刊誌の類を電子書籍化してはどうかということです。電子申請もよいのですが、まず、自分たちの間で発行している会報から始めてはどうかということです。

 小生が月刊誌の電子書籍化を思い立ったのは、バックナンバーをどのように保管するのがよいかと考えていた時です。月刊誌は毎月1冊ずつ増えていくので、捨てないで保管しておくと意外と場所をとります。しかも、これは参考になると付箋等で目印をつけておいても、冊数が増えれば増えるほど検索が困難になってきます。自分で索引を作って管理すればよいのでしょうが、これはこれで少々面倒です。そこで、電子書籍化してKindleなり、iPadなりで読めるようにすることを提案します。仄聞するに、世の電子書籍愛好者の間では、紙の本をわざわざ電子書籍化してしまう(俗に「自炊」と呼ばれるようです)サーヴィスが行われるまでになっているようですから、雑誌の電子書籍化の方法、ファイル形式の標準化などは、相当普及してきているものと判断できます。

 電子書籍化することにより、次のような点で改善が見込まれます。
1.今まで場所をとるからという理由で捨てられていた月刊誌、会報等をPC又は電子書籍用端末に保存することができるようになり、保管場所確保を気にしなくてよくなります。
2.記事検索が楽にできるようになると期待できます。
3.発行費用及び送料がある程度廉価に抑えられることが期待できます。
4.発行費用等が大幅に抑えられる場合には、会費の引き下げなど会員への還元も期待できます。

 問題は、電子書籍は読みにくいなどの理由で、どうしても従来の紙形式が必要であるという会員に対する配慮です。しかし、電子書籍化した雑誌から紙の雑誌を印刷して製本することは、非常に簡単なことだと思われます。あとは、印刷・製本の費用及び送料を何らかの形で負担していただけば、問題は解決します。おそらくは、従来の形式の場合は、従来の会費を支払い、電子書籍版を選択すれば、会費は現在の水準より安くするという方向が妥当ではないかと思料する次第です。

「釈迦の教えは『感謝』だった」となでしこJAPAN

 なでしこJAPANが今夏W杯で初優勝して、震災でへこんでいた日本を大いに勇気づけてくれたのは、つい先々月のことです。彼女らは、一躍我らがヒロインとなり、日本国中に爽やかな印象をもたらした彼女たちの試合を全国民が期待を持って観ているはずです。しかし、現在なでしこを率いている佐々木監督は、見かけによらずなかなかの策士なのかもしれません。そして、昨日、中国青島で行われた五輪予選の対北朝鮮戦では、早く予選通過をして五輪切符を手に入れて国民の期待に応えようという気持ちが強すぎたのかもしれません。

 昨日の試合で、前半運動量に勝る北朝鮮代表に苦戦を強いられていた日本代表は、後半37分くらいだったと思われますが、数少ない好機をものにして1点を先取します。日本はこの先取点をきっかけに絶好の時間帯に攻撃の流れを引き寄せるのですが、問題の戦術行動がここで起こります。つまり、コーナーキックの機会を得た日本代表に対し、佐々木監督はあろうことか、北朝鮮選手に体格負けしない永里選手にコーナーでボールを持たせ、時間稼ぎをする作戦を指示したのです。

 この時間稼ぎ作戦を見て、小生は嫌な予感を覚えました。それは、今夏に読んだ小林正観氏の「釈迦の教えは『感謝』だった」に書いてあったことをはっきりと思いだしたからです。その中で小林氏は、人間は動物とは違うジャンルを3つ持っていて、それは「芸能と芸術とスポーツ」なのだそうです。そして、それらは、人間が精神活動として行うもので、実は人間が周りの人間に喜ばれるための活動を凝縮させた結果、浮かび上がってきたものと言っておられます。

 その3つの活動の内で、スポーツは癒しのジャンルととらえる人は少ないかもしれません。勝敗を争うこと、詰まるところ勝った負けたに行きついてしまいがちだからです。しかし、小林氏は、スポーツを「勝ち負けをゲームとして争う、癒し的な行動」と宇宙的に定義できるとします。つまり、勝ち負けを争っているけれども、実は勝ち負けを争うゲームをしている人たちの爽やかさ、爽やかな行動が、それを見ている人たちに癒しや安らぎを与えるのです。従って、「勝つためにはどんな手も許されるんだ、勝つためにはどんな汚いことをしても、あくどいことをしてもいいんだ」というような手段を選んだ人は、宇宙から評価を受けません。宇宙から支援を受けなければ、どんなに実力があってもうまくいかないことになります(同書182~183頁)。

 北朝鮮戦の最終局面でなでしこが採ったコーナーキックによる攻撃を放棄しての時間稼ぎ戦術は、あくどいというほどのものではなかったのですが、美しく爽やかなものではありませんでした。ここで彼女たちは、宇宙なり、神なりからの支援の幾ばくかを自ら遠ざけてしまったと小生には思えました。そして、その数分後に北朝鮮に同点ゴールを決められ、小林正観氏が言っておられたことの正しさが目の前で証明されたかのようになってしまいました。このことは、スポーツに限らず、様々な人間の営みに通じている普遍的な道理なのだろうと思われます。

 それでも北朝鮮戦の結果は引き分けであって、この試合の後に行われた試合で中国が豪州に敗れたために、なでしこの五輪出場が決まりました。なでしこには、全体的に見ればまだ、宇宙なり、神なりが味方についていてくれているのは間違いないのでしょう。五輪本戦では、今回のような戦術の誤りを2度と犯さず、全試合爽やかに戦ってくれるように祈るばかりです。


「壁を壊す」を読んで

1.DOWAの画期的な改革 

 DOWA Holdings会長兼CEOの吉川廣和氏が2007年に上梓された「壁を壊す」(ダイアモンド社)を読んでみました。正直、よくもまあ、吉川氏はこれだけの改革を思いつき、会社はそれを実行することを受け入れたものです。あまりにも画期的な改革であるために、結果を出してきたこれまではよいものの、今後反動が起こることはないのか、その危うさについても考えざるを得ないと思ってしまいました。

 DOWAは、1884年、官営小坂鉱山の払い下げを受けて創業した藤田組に始まり、1945年より「同和鉱業」を名乗り、2006年から持ち株会社制への移行によりDOWA Holdingsとなり、本社も丸の内に近い鉄鋼ビルから秋葉原駅前の高層ビルの最上階に移って現在に至っています。国内に優良鉱山を持ち、鉱石を製錬して非鉄金属(金、銀、銅、亜鉛、鉛など)の生産を主な業務としてきました。現在では、「製錬」、「金属加工・電気・電子材料」、「環境・リサイクル」、「熱処理」の4つの核になる業務に整理されたカンパニー制を採っています。

 吉川氏は、2002年の社長兼CEO就任以来、ご多分に漏れず極度の大企業病に陥り、閉塞状態にあった同社を、厳しい「合理化」で人員の約2割を削減する一方、中期的にあるべき姿を示す「事業構造改革」によって、2006年には経常利益を過去最高の約500億円に到達させ、有利子負債も大幅に圧縮することに成功しました。改革は無理やり形から入ることが効果的と考える吉川氏のやり方は、物理的に部門間に設置されている壁を取り払ってしまいます。秋葉原の新本社屋では、体育館のような全長150メートルの巨大事務所の中に個人の座席を固定しないFree Addressと呼称される方式で、毎朝出勤した者からPC、PHS及び仕事道具を整理棚から出してきて、その日に空いている座席に座るというものです。当然、周囲に座っている人たちが、必ずしも同じ部署や関連部署の人とは限りません。

 本の題名にもなっている「壁を壊す」は、この驚くべき事務所の物理的変革によるものと思われます。保守的な小生などは、これだけ聞いただけでちょっとついていけないなという印象をもってしまいますが、慣れれば意外に効率的なのかもしれません。本社内転勤及び配転などに一切費用が掛からない、座席替えに至ってはその必要性さえ生じないという長所も副次的に備わっています。


2.改革に対する疑問

 本書を読み進んできて腑に落ちなかった点は、主に「第三章 新しい会社へ―再生は形づくりから」のところにありました。吉川氏は、ある意味で徹底した合理主義者のようで、「会社は競争社会で生き抜く戦闘集団であり、決して仲良しクラブではない」と言い切っています。日本の会社に良くも悪しくも見られがちな「村社会」性を忌み嫌い、社内での必要資材や物品の調達でさえ、社内やグループ企業からよりも有利な条件で社外から調達できるならば必ずしも社内調達をする必要はないという市場原理・競争原理を徹底しています。そもそも、Free Addressなどという発想も、「村社会」性を否定するところからしか生まれて来る余地はなかったでしょう。

 小生は、「そもそも日本の会社という職場は、目的追求集団であると同時に村社会であり続けるという矛盾に満ちた多面体であり、そのことによってもたらされる多少の非効率や不合理はそういうものとして受け入れられるべきだ」という考えですので(メンタルヘルス私論_その2)、日本の、しかもDOWAのように老舗の会社から「村社会」性を完全に払拭してしまうような試みには、どうしても危うさを感じてしまうのです。かといって、改革断行前の同社では、座して死を待つような状態であり、吉川氏の改革で優良企業に生まれ変われたことは紛れもない事実です。しかし、それでは、吉川氏が名実ともに経営から身を引いたときに何が起こるのか、壁を壊した改革の精神は正しく引き継がれていくのか、多少の疑問が残るのです。


3.開かれた会社

 「村社会」性についての考え方の違いがあったものの、「第四章 徹底的に開かれた会社への転換」及び「終章 壁破壊の改革から学んだこと」には、賛同し学ぶべきことが多く書かれていました。

 全国の事業所を回って全社員との直接対話を行うなどは、できそうでできることではありません。米国の政治家などが使う手でタウン・ミーティングと呼ばれるものと同じ手法だと思います。九電が原発に関する住民説明会で賛成意見をあらかじめ出すよう求めるなど「村社会」の小汚い負の部分ばかりが目立つ昨今ですが、吉川氏ほどの指導者を得ることができて初めて機能する試みだと思いました。並みの社長がやったのでは、ただの大名行列で費用の無駄使いに終わる可能性が高くなるのでしょう。イントラネットを使った『社長かわら版」も、画面に「社長への返信」と「公開意見」のボタンが設けられ、一歩進んだ目安箱のようなものなのだろうと思われますが、試してみたい仕組みです。また、同社は、企業の法令遵守を重要課題とみなして、内部通報制度を整備し、弁護士事務所内に「DOWA相談デスク」を設けています。

 この他、「投資家に示すべきは『施策』と『決意』であって、数字ではない。」、「会社とは、かかわりを持つ人たちがメシを食うための道具に過ぎない」と割り切り、「会社は『夢』や『生きがい』など与えられない、社員の抱く様々な『夢』や『生きがい』、そんなことに経営トップがいちいち応えられるだろうか」と述べ、「『動機付け』や『力の結集』など、叫んでも無駄である。会社の方向を示し、働く環境を整えることに力を尽くし、後は社員を信頼すればよい」、「『トップの先見性』など気にしなくていい。混沌としたものを、無理やり明快にしてはいけない」、「人は管理できない―会社の目的に向かって、社員に能力を発揮してもらうこと、そのために、働く環境を整えることが、人事部の仕事である」など、これまでの経験に裏打ちされた経営の実感が綴られていて、味わい深いものになっています。